まんたんウェブは千鳥のこと嫌いとしか思えない
プロであるなら携わる対象に敬意を払って最低限の興味持って理解しろという話。
先日、こんなニュースがヤフーのトップに上がりました。
お笑いコンビの「千鳥」が12日、東京都内で行われた「大阪よしもと漫才博覧会」の発表会見に、後輩のお笑いコンビ「8.6秒バズーカー」らと登場。千鳥は、司会を務めたあべこうじさんからの“ムチャぶり”で、「8.6秒~」のリズムネタ「ラッスンゴレライ」の完コピに挑戦したが、あえなく失敗。ノブさんは「便乗してしまってすいません」と「8.6秒~」に直接、謝罪した。
大悟さんは「あんま、知らないけど……」とサングラスをかけて「ラッスンゴレライ」のお決まりのポーズを取った大悟さんに対し、ノブさんは、ポーズを知らずなかなか決まらず。強引にネタをスタートさせたが、リズムに乗り切れずダンスも“グダグダ”になってしまった。
この記事を読む限りだと、千鳥が調子乗った結果、盛大に失敗したように見えます。
けど、実際の動画を見てみると…
千鳥、おもろいやん!
ノブが調子こいてグダクダやけど、それも含めて千鳥カラーが出てます。先日話題になったオリエンタルラジオの完コピより全然面白い。
このおもろい感じを、あのまんたんウェブのクソ記者は、まるで千鳥クソみたいな書き方したわけですよ。
いや、こんなおもろい感じをただ「千鳥完コピ失敗…」ってそのまま書いちゃうってある意味すごいな! まじめすぎるやん。物事真正面から捉えすぎやん。この調子で年老いたらオレオレ詐欺に週4ぐらいで引っかかるよ。
ちょっとでも千鳥の面白さやカラーを理解してたら、絶対あんな書き方にはならんはずです。千鳥のこと二人組ってこと以外何一つ知らんとしか思えません。
しかも千鳥は今大事な時期。ピカルの定理はうまくいかんかったけど、ようやく東京の一部視聴者に「千鳥けっこう面白いかも」と思われ出したあたり。あとはもっと幅広い層にもう少しちゃんと面白い人たちと認識してもらう必要がある、もう一踏ん張りの大事な時期。
その大事な大事な時期に、もはやマスメディア以上の影響力があるヤフーのトップにあんな記事を載せられたら、一般の人たちにまた「千鳥って面白くないんやー」ってイメージを植え付けてしまいます。千鳥の2人にとって、芸人人生に関わる致命傷にもなりかねないダメージです。
それもこれも、あのクソ記者が千鳥に敬意を払っていないから、2人がどれだけ大事で繊細な時期か理解できてないから、何より芸能記者のくせにきっと千鳥の笑いを理解できてないからだと思います。
でも、仮に興味がなくても、それで給料もらってるからには最低限の理解をするように努力すべきでしょう。
元からの自分の興味ど真ん中の仕事に携わってる人なんて、世の中のほんの一握りです。でもみんな割り振られた、巡り合った場所で一生懸命プロになろうとがんばってるわけです。
なんでこういう芸能系の記事って、一般人よりさらに低いリテラシーで執筆されることが許されるんでしょうね。
もうちょいやる気出して欲しい。
てか「まんたんウェブ」ってなんやねん。ネーミングセンス壊滅的やがな。あらゆる読者層から満遍なく普遍的に支持を得なさそう。
こちらからは以上です。
大晦日ガキの使い「笑ってはいけない大脱獄24時」が笑えない理由
今年からブログとか書くつもりです。
今年も視聴率好調だった、大晦日ガキの使い「笑ってはいけない○○24時」
ますます人気の出る一方で、イマイチあの番組に消化不良感を抱いてしまう方も多いのではと思います。
おこがましくも「面白くない!」なんて言っちゃう声もちょこちょこ聞きます。
その理由って何だろうなーって考えたんですが、やっぱり
意外な芸能人が出てきても、その意外さはテレビの向こうにはそんなに伝わらない
これに尽きるのではと思います。
視聴者側からすると、芸能人は全員雲の上のような存在だし、どんな大物が出てきてもギャラとかわからないし、そもそも芸能人ってみんなテレビでしか会わない(そしてテレビでは会う)存在でしかありません。
なので土屋アンナが出てきても、演者としては「まさかこの人がこの状況でバラエティに…」「まさかこの番組に…」っていう驚きがすごいのだろうけど
視聴者としては普段ドラマとかで見る人が、違うジャンルだけど同じテレビの画面に映っているだけなので、別にそこまで面白く思えません。
現実で目の前にマツコデラックスが出てきたら意外性も面白さも抜群ですが、テレビの中にマツコが出てきても、ある意味それは日常と変わりません。
実生活の飲み会とかで、普段おとなしい人が突然キャラに合わず暴れだしたりすると、他人が傍から見ていても全然面白くありませんが、そいつのキャラクターをよく知っているそのグループのメンバーにはめちゃくちゃ面白かったりします。
それと似ていて、「まさかあの人が…」っていう意外性が、テレビの向こう側とこちら側(少なくとも私は)でそこまで共有できていないのだと思います。
だから私の中で最終的に印象的に残ったのは、山崎と蝶野のくだりのように毎年おなじみの場面であったりしました。
だからまあ、この番組の楽しみ方としては、レギュラーのガキの使いのような、数少ない「ダウンタウンの本気のコンテンツ」としてではなく、他の年末特番と同様、「たくさんのタレントが年の瀬にわいわい騒ぐ番組」としてが正解なのでしょう。
そこにお笑いファンが求めているものとに乖離があり、「ガキ使おもんない」的な意見につながってしまうのだと思います。
まあぐだぐだ文句言ってる割に、きっと次回も見ちゃうと思いますけどね。
こちらからは以上です。
まあぐだぐだ文句言ってる割に、きっと次回も見ちゃうと思いますけどね。
こちらからは以上です。